しかもこの国のニュー・アカは、いささか軽薄だった。
海の向こうのポスト構造主義者たちは命がけだった。アルチュセールは最後は狂人になって奥さんを撃ち殺し自分は精神病院に入って生涯を終えた。ドゥルーズは自転車に乗って坂道をノンブレーキで駆け下りて車に当たって死んだ。フーコーはエイズにかかって全身斑点だらけになり、その苦痛に耐えながら執筆を続けつつ壮絶に死んだ。そのことと彼らの思想は直接の関係はない。だけど、彼らの立場になってみれば、自らが所属する社会性を解体し続けるという行為は非難の的になるし、それを続けることは宗教的情熱にも似たよほどの意志が必要だ。デリダが90年代に入って政治的発言を増やしているのも、解体という行為があまりに安易に捉えられていることへの危惧からだろう。
ところが日本では、最初からそんな真剣さや危機感とは無縁にこれらの思想が受け入れられた。ポスト構造主義は日本においては『スキゾ・キッズの大冒険』だったのである。そういう思想風土であるにせよ、あまりに簡単に脱構築が受け入れられ、進められた。僕を含めて僕らの世代にとってはそれがファッショナブルであったし、「知的」だと思っていたのだ。
そして後に残ったのは、おそらく多少は大事なのだろう「自由」とか「責任」とかいった言葉の残骸。大人たちがそれを口にするたびに、われわれの世代はそれをおもちゃのように弄繰り回して解体して遊んできたのだ。まさにスキゾ・キッズ。
だけど、少なくともわれわれの世代は、まだ「自由」「責任」という言葉と向かい合っていた。「自由」「責任」という言葉の重量とか質感とか手触りが何となくあって、だからこそ、それを茶化して解体しようとしていたのだ。
これから初めて思想的な言葉に触れる00年代の若者にとっては、もはや「自由」「責任」といった言葉は残骸でしかない。重量も質感もない。彼らはさらに解体を続けるだろう。